2010年11月19日金曜日

カンボジア旅行(2010.11.18~2010.11.23)③アンコール遺跡小回りコース観光(前編)

アンコールワット日の出

朝早くからアンコールワットのサンライズツアーに行きました。

出発は朝5時、バイクタクシーを使って真っ暗な中アンコールワットに向かいました。
途中3日分の入場チケットを買い、そして真っ暗ななか人ごみに混ざってサンライズビューポイントに向かっていきます。

そしてアンコールワットの日の出です。
※スライドショーになっています。スライドショーの途中で写真をクリックすると Picasa ウェブ アルバムに移動します。

アンコールワットの祠堂と一緒に見たサンライズ、とっても素敵でした。

日の出を見た後はサンライズツアー終了、一旦ゲストハウスに戻ります。




朝食

朝食をゲストハウスで食べました。


朝食を食べて一休みしてから、アンコールワット小回りコース観光です。




アンコールワット

最初に日の出を見たアンコールワットに行きました。


アンコール・ワットが作られたのは日本はまだ平安時代の12世紀前半、当時カンボジアを治めていたクメール王朝の王スーリヤヴァルマン2世によって30年以上かけて作られたヒンドゥー教の寺院なのだそうです。
クメール王朝はこのアンコールの地で栄えたが、タイを中心としたアユタヤ王朝に攻め込まれてしまったためにアンコールを捨てて首都をプノンペンに遷都、そのままアンコールは忘れられた都になってしまったのだそうです。
そして1860年に訪れたフランス人アンリ・ムーオによって大きく紹介されたことで広く知られるようになったという歴史を持っています。
※以前は彼がアンコール・ワットの再発見者という扱いだったが今では地域住民の宗教的な聖地であり続けたこと、そして他のフランス人、日本人、オランダ人などのいろんな人の参拝記録もあることから広く紹介したという扱いが主流なのだそうです。

また、この遺跡は近年になって危機に面したこともあるそうです。
1972年に起きたカンボジア内戦でポル・ポト派のクメール・ルージュというカンボジア共産主義者の政党がたくさんの寺院を破壊してしまったのだそうです。そればかりか1979年になってからは政権を追われてこのアンコール・ワットに逃げ延び、このアンコールワットを居城として陣地を張ったのです。そのために沢山の寺院はさらに破壊されてしまい、アスパラダンスの踊り子達を含むたくさんの人達が殺されてしまったり、そして周辺にはたくさんの地雷もいまだに埋もれているそうなのです。

いまでは情勢も安定し、アンコールワットは世界遺産にも登録され、建物は国旗にも描かれ、世界中の国々の協力で修復や地雷撤去が進んでいるところなのだそうです。


※スライドショーになっています。スライドショーの途中で写真をクリックすると Picasa ウェブ アルバムに移動します。

YouTubeの動画もどうぞ。



アンコールトム

次に行ったのがアンコール・トムです。

アンコール・トムが作られたのは12世紀後半、スーリヤヴァルマン2世の4代後の王ジャヤーヴァルマン7世によって作られた寺院だそうです。
そしてアンコール・ワットはヒンドゥー教の寺院でしたが、ジャヤーヴァルマン7世は晩年仏教を狂信したため、仏教の寺院として作られているとのことです。
さらにジャヤーヴァルマン7世はその他にも沢山の仏教寺院を各地に作るための重税や重労働といった悪政を行ったことから、ジャヤーヴァルマン7世を最盛期としてクメール王朝は急速に衰退していったとも言われているそうです。


アンコール・トムの入口の門の一つ、南大門。



※スライドショーになっています。スライドショーの途中で写真をクリックすると Picasa ウェブ アルバムに移動します。

カンボジア旅行(2010.11.18~2010.11.23)④アンコール遺跡小回り観光(後編) につづ

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